精神世界と心理学:読書日誌

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さるさる日記

2007/10/08 (月) 『クォンタムタッチ』

◆『クォンタムタッチ』リチャード・ゴードン(ヴォイス)

再読だが、この日記ではレビューを書いていなかったようだ。

クォンタムタッチは、ハンズ・オン・ヒーリング(手技療法)の一種だ。気による療法の一つだと言ってよい。原理は共鳴エネルギーである。施術者はただ、非常に調和したエネルギーを維持するだけで、クライエントのエネルギーがその波動に同調する。あとは、そのエネルギーを受け取った肉体の内なる知性がヒーリングを起こすのに必要な作業をするというのだ。

具体的には、呼吸と瞑想のテクニックによって高次の周波数を維持しながら、患部を両手で包みこむようにする。すると患部の波動が、施術者の波動と共鳴し、その共鳴した波動が、ヒーリングに必要な働きを起こすということだ。

「施術はただ、非常に強く調和したエネルギーを維持するだけで、クライアントのエネルギーがその波動に同調していきます。あとは、そのエネルギーを受け取った肉体の内なる知性がヒーリングを起こすために必要な作業をしてくれるのです。」p27

施術者は、ワークを行うことによって自らも癒されていくというのは、さもありなんと思う。呼吸と瞑想テクニックを併用することで、エネルギーが整い、パワーが何倍にも高まるというが、それは同時に施術者が癒されるプロセスでもあるだろう。施術中は、心が非常にリラックスした状態で集中することが最善のアプローチだという。自分自身を100パーセントその中に注ぎ込む。いかなる想念も手放して自分のすべてを与える。呼吸に集中して、それを両手の感覚につぐなげる。時空の感覚さえ忘れるほどに没頭する。自分を完全に与えると、そのプロセスに溶け込んで自分が消えていくように感じるという。これは、ヒーリングが瞑想そのものになっている瞬間だろう。

読後にヒーリングや癒しにとっての根っこにあたる大切なものが語られているという印象が残った。さらい探求していきたい。

2007/09/30 (日) 『あるがままに』ラマナ・マハルシ(2)

ラマナ・マハルシは、心の源は身体の特定部分に精神集中することによってではなく、「私」という想念に注意を払い続けることによってのみ発見されるという。しかし、「私は誰か?」という問いへの答えは、心によっても、心の中にも見出すことはできない。真の答えは、心の不在の体験のなかにしかないからである。

「『私』という想念を捕まえなさい。そうすれば静かになる。『私』という想念の源をたどりなさい。そうすれば、ただ真我だけが残るだろう。」「『私、私』と考えなさい。そしてその他のすべての想念を除き、『私』だけを思い続けなさい。」p132

こうした言葉からラマナ・マハルシの説いた方法が推測できる。何よりもまず、「私」という想念に注意を払い続ける。「私は誰か?」の答えは、言葉によっては与えられない。それは真我の中ににのみある。必要なのは、「私」という想念に注意し続けることだ。そうしていれば、その想念がどこから生じてくるのかが自ずから明らかになるだろう。そんなことのような気がする。

ラマナ・マハルシは、「私」という想念への自覚を伴う修練なら、どれも真我への有効な手段だと、つねに主張していたという。日常生活においても、瞑想中に、想念が生まれたらそれを「想念」「思考」とサティする。そして、「私の想念」と確認する。こうして「私」という想念に集中し続けることは、可能だろう。私自身、こうした形で実践していきたいと思っている。

こうしてマハルシの本を再読したり、文章で確認したりすることで、その方法を自分自身の生活の中に取り入れていくことができるだろう。今後も彼の本を読み続けていきたい。

2007/09/30 (日) 『あるがままに』ラマナ・マハルシ(1)

再読だが、最初に読んだときとは受け取ったものが違うので、読みなおす度にレビューを書くのもよいことだと思う。今回は、ガンガジの『ポケットの中のダイヤモンド』を再読した直後に読んだ。二つの本は、私のなかで響き合っている。ガンガジは、ラマナ・マハルシの孫弟子にあたるので、当然と言えば当然である。マハルシの簡潔な表現が、ガンガジではより細やかに、詩的に語られている。

この本は、日本語で読めるマハルシの他の本に比して彼の教えの全体像がいちばんわかりやすくまとまっている。その教えを一言でいえば「真我探求」だ。それが具体的にどのような方法なのかは、つかみどころがなく分かりにくいが、この本では少しは手がかりがつかめるようだ。

具体的には、「私」という感覚に注意を払い、できるかぎりそれを維持すること。もし注意が他の想念に移ったら、それに気づき、「私」という想念への自覚に戻ること。身体の心の活動の中心にあって、それらのすべての活動に責任をもつと装っている「私」に絶えず気づいていることだという。

「想念がたち現れるその瞬間に、油断なく、『これは誰にとって現れたのか?』と問えば、それは『私にとって』であることがわかるだろう。そのとき、『私は誰か』と尋ねることによって、心は源へと引き戻され、現われでた想念も静かになるだろう。」p104

これだけ具体的に書かれていてもまだ分かりにくいのは、「私は誰か」という問いの答えがないままに問い続けることに、とまどいを覚えるからだろう。しかし、「私」という想念に気づき続けることは、日常の中でも充分できそうな気がする。マハルシやガンガジの言葉を注意深く見ていけば、どうすればいいのかもっと納得できるかも知れない。

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★現在、ブログなどで 「はだしのゲン」を世界へ!! という取組みを行っています。アニメ『はだしのゲン』を世界中の人に少しでも多く見てもらい、原爆の実態を知ってもらおうという運動です。IMDbという映画情報サイトでアニメ 『はだしのゲン』 に投票していただき、このアニメの存在を世界に知ってもらうことを呼びかけています。

2006/10/21 (土) アートマン・プロジェクト09(サトル領域02)

◆『アートマン・プロジェクト』第8章(2)
《要約》粗領域を超えた世界は、オーロビンドによれば次のように語られる。「ふつうの人間は、自分自身の外側、自分の意識の外部にある世界と触れながら、心と諸感覚(粗い身心)の中で生きている。意識が微細化すると、それははるかに直接的に事物と接触するようになる。つまり、事物の形や外面的影響だけでなく、それらの内部にあるものとも接触をもつようになる。ただし、まだその度合いは小さい。しかし、意識はさらに拡大することも可能であり、まず世界内の広範な事物の宇宙と直接的接触をもちはじめ、次にはいわばそれらを内包する――自分自身のなかに世界を見るといわれるように――形となり、ある意味でそれと同化するようになる。自己の内に万物をみ、万物の内に自己を見る‥‥‥これを普遍化(宇宙化)という」。

多くの聖者たちによれば、「われわれの覚醒時の心性の背後にはより上位の広範な意識の諸相があり‥‥‥われわれは変則的それを自覚することがある」のである。つまり、粗領域を超えた最初の段階とは、微細(サトル)な世界にほかならない。(p141〜143)

☆いわゆる至高体験とは、上位の意識の諸相への、一時的、変則的な接触なのであろう。サイト『臨死体験・気功・瞑想』の「覚醒・至高体験の事例集」では、とくに覚醒と至高体験とを区別せずに並べて掲載している。しかし、至高体験の事例の方が圧倒的に多く、覚醒(オーロビンドのいう普遍化・宇宙化)の事例は、はるかに少ない。

2006/10/01 (日) アートマン・プロジェクト08(サトル領域01)

◆『アートマン・プロジェクト』第8章(1)
《要約》本書では、発達心理学的な段階を追って「意識の初歩的根源」、「テュポーン的自己」、「メンバーシップの自己」、「心的―自我的領域」、「ケンタウロスの領域」と記述が進められてきた。

しかし、そのすべては、伝統的な心理学が「粗(グロス)領域」と呼ぶものに属し、それを超えたところには微細(サトル)領域と元因(コーザル)領域が広がっている。粗領域(仏教用語では、ニルマーナカーヤ(応身)は、通常の覚醒時の意識領域であり、粗い物理的身体とその構築物である通常の時空間に基盤をおき、それを中心に展開するあらゆるレベルからなる。(p1389)

☆新しい章に入る。通常の時空間に属するこれまの段階をすべて「粗(グロス)領域」=応身(おうじん)として一括し、いよいよサトル領域やコーザル領域の記述に入る。

2006/08/30 (水) アートマン・プロジェクト07(ケンタウロス05)

◆『アートマン・プロジェクト』第7章(5):
《要約》超言語的、超概念的ケンタウロスこそ、ベルグソンのいう「直観」やフッサールの言う「純粋直観」の本源であろう。ベルグソンやフッサールが、ケンタウロスよりさらに高次の諸領域を見たことを否定しないが、彼らの哲学がケンタウロス特有の志向性、ヴィジョン・イメージ、直接的な知覚把握といったリアリティをもっとも鮮やかに反映していると感じる。

実存的ケンタウロスは単に自我、身体、ペルソナ、影のより高次な統合であるばかりでなく、同時にさらに上位にある微細(サトル)および超個的諸領域への主要な転換点でもある。(P130−134)

☆ベルグソンの哲学が、ケンタウロスレベルに対応するという指摘はよく分かる。しかし、フッサールの「純粋直観」が、そのようなものと対応するという理解は、きわめて刺激的だ。そういう視点からフッサールを読み直して見る必要がある。

2006/08/30 (水) 再び見出された神04(統合心理学への道)

◆『統合心理学への道』ケン・ウィルバー(春秋社、2004年)
《要約》「ウィルバーのモデルは、自己を包含するかわりに、全否定している」という批判がある。答えは、エゴ(自我)をどう定義するかによる。エゴという言葉によって、固体の心身への専一的な同一化を意味するのなら、確かにエゴは、それ以降の「大いなるアイデンティティ」が出現すれば、そのほとんどは解体される。

そのとき個人の人格の中心は、単一の有機体から「すべて」に転換する。しかし、エゴという言葉によって、それがもっぱら粗大な慣習的世界と感覚運動的リアリティに対処する自己意識の側面を意味するとするなら、もちろんエゴが引き続き存在する。

つまり機能としてのエゴは、高次の成長のなかでも保存される。一方専一的なアイデンティティとしてのエゴは、より広い、より高いアイデンティティのなかでは、解放される。両方とも真実である。(P218-219)

☆このウィルバーの議論には全面的に賛成である。同じことが言語の使用に関しても言えるだろう。覚者は、言語を使う。しかし、機能としての言語は使用しても、言語の枠組み、概念体系への専一的な固着はなされていない。言語という固定的な枠組みから自由に現象に接することができるのである。

2006/08/27 (日) 再び見出された神03(統合心理学への道)

◆『統合心理学への道』ケン・ウィルバー(春秋社、2004年)
《要約》「ウィルバーのモデルは、かたくなに直線的(リニアー)であり、人生の非定型的で、非直線的な局面を無視している」というのは、ウィルバーモデルに対するかなり一般的な批判である。これに対してウィルバーは言う。厳格な意味では、基本構造のみが直線的である。なぜなら、構造が出現する順序において、ある特定の段階をとばしたり、その順序を逆転させることはできないからだ。

どんぐりが樫の木に成長するのは、直線的(リニアー)で、逆転できない(非可逆的な)段階を踏んでいく。同じように人間の心の発達も、ホロン階層的な分化−統合のプロセスを踏んでいく。

しかし、こうした拡大する意識の領域を航行する自己の旅は、まったく直線的でない。自己は、いつもすべての場所にいることができる。自己の発達は、身体、心、魂、スピリットへの自己同一化の発達であるが、にもかかわらずそれは、直線的な階段を登るというよりは、ローラーコースターに乗っているような、混乱したものである。

直線的な基本構造、偏在的な自己システム、不安定であるが漸進的な移行構造の三つの要素を組み込んだものでなければ、東洋と西洋の膨大な、瞑想的な意識の変容状代の例を、充分に組み込むことはできないだろう。(p213-215)

2006/07/23 (日) 高岡英夫の本2

◆高岡英夫の本
★人生、ゆるむが勝ち マキノ出版 2005
この本は、ゆる体操の人生への応用編といった本だ。ゆる体操によるゆるみが、私たちの実生活を円滑化させ充実させるためにも、どれほど大切なことであるかが、いくつかの印象的なエピソードとともに語られている。とくに 著者が、日本のバス・バリトン界を代表する声楽家・浦野智行氏を指導し、育てた過程のエピソードは印象的だ。 一読の価値あり。

★「ゆる」身体・脳革命 講談社(新書):2005
著者の長年の探求のなかで、体をゆるめることがいかに人間の心身の潜在力を引き出すかが明らかとなったという。バスケットボールの陸川章選手や女子サッカーの荒川恵理子選手、沢穂希選手の指導、男子サッカーの大黒将志選手の実例、相撲の豊ノ島の指導などでその成果を具体的に語っている。また高齢者への指導でも、健康面、心理面、身体の変化などでかなり効果をあげているようだ。 著者は、ただ身体をゆるめるだけで、脳の酸化ヘモグロビンが顕著に増え、自律神経が副交感神経優位への大幅に変化することが実験的に確認できたという。それは、コンセントレーションとリラクぜーションがが「ゆる」によって同時に達成されたことの科学的な実証であった。 高岡英夫氏の理論は、気功やヨーガその他、体を動かす東洋的な行法においてきわめて画期的で、今後、この方面における中心的な役割を果たす理論かもしれない

2006/07/23 (日) 高岡英夫の本1

サイト臨死体験・気功・瞑想での新しいページの企画準備のため、これまでに読んだ本について著者別に分類して、各本にかんたんなコメントをしていく。いくつかまとまったら、ここで紹介し、次にサイトのページに付け加えていく。ゆっくりやっていくつもりだ。

◆高岡英夫の本
★「からだをゆるめる」と必ず健康になる:マキノ出版 200309
世界中のあらゆる体操法・運動療法を研究し、それらの中の体をゆるめるのに有効なエッセンスを抽出して作り上げたのが「ゆる体操」だという。かるい運動だが、その最中から不安が軽減され、心がらくになる。副交感神経が優位となり、リラックス状態になれるようだ。その方法を多くのイラストで分かりやすく解説した入門書。まずはこの本から読むのに最適。

★「余分な力」を抜けば、人生が変わる:三笠書房(文庫) 200302
筋肉がゆるみパーツがゆるんで柔構造で立つ人と、筋肉が緊張しつつ剛構造で立つ人がいる。超一流の人はみな柔構造で立っているという。身体をゆらしゆるませることで、気持ちがゆるむ。ゆるみがサイクル状に進んでいくと、身体の各パーツの連結も解放されていくという。「ゆる体操」の高度な深い面にまで触れている。 (続く)

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