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■2006/01/10 (火)
誠のケルトばなし 2 |
◎ 以前から、ヨーロッパのケルトについて気になっていました。このところケルト関係の本を読み、ユーラシア大陸の東西両端のアイルランドのケルトと日本に通じ合うところがあるのではないかということを感じています。
◎ 最近、ケルト・リバイバルや縄文および神道リバイバルが興っているようですが、単なるノスタルジーだけではないようです。
◎ 文明の構造を原初から見直す動きのようにもとれますね。
◎ ケルト民族のなかにドルイドという存在があります。ドルイドは森に聖なる場所を造り、聖なる森で祭儀を行っていた神官でした。ドルイトは知識の上で優れており「賢者」と見られていました。
◎ 「樫の木」「森」に関連して、森の奥深く庵を造って住んでいました。
◎ 部族間で彼らの力が強くなるのは紀元前2世紀からのようです。ドルイド教としてのケルト信仰がもっとも盛んだったのは、紀元1世紀から3世紀頃です。
◎ 単に哲学者あるいは僧侶というだけではなく、特別な技術を用いて超自然的な力を自らの力で左右できる人々、不可思議な力を持つ人や魔術師を指してもいたようでした。
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■2006/01/05 (木)
誠のケルトばなし 1 |
◎ 以前から、ヨーロッパのケルトについて気になっていました。このところケルト関係の本を読み、ユーラシア大陸の東西両端のアイルランドのケルトと日本に通じ合うところがあるのではないかということを感じています。
◎ 最近、ケルト・リバイバルや縄文および神道リバイバルが興っているようですが、単なるノスタルジーだけではないようです。
◎ 文明の構造を原初から見直す動きのようにもとれますね。
◎ 19世紀、ヨーロッパにケルト・リバイバルが勃興し、ナポレオンは、フランスの民族的源流に、ケルト人、あるいはケルト文化を見ようとしました。
◎ そしてケルト・アカデミーを設立して、その流れからフランス民俗学が成立いたします。
◎ 日本では、アイルランド出身のラフカディオ・ハーンにより日本の民族学が切り開かれていきました。そして柳田国男が続くのです。
◎ 岡本太郎はケルトと縄文文化の表情に、そっくりなものを感じます。私も以前から縄文の力強さに惹かれていましたが、最近ケルトにふれる不思議を感じています。
◎ そういえば、日本の童謡のなかにアイルランド民謡からの引用が多いのも両者の共通するなにかのせいなのでしょうか?
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■2005/12/17 (土)
誠のブランド物語 時計ブランド コルム(スイス) |
◎ 1955年の創業以来、コルムは斬新なアイディアに富んだ独創的な時計をつくりあげています。
◎ 最初のモデルの一つ「ゴールデンチューブ」は、筒状のケースにムーブメントを納め、ベルトが中を貫くデザインでした。
◎ 1965年には、本物の金貨をスライスし、そのなかにムーブメントを仕込みました「コイン・ウオッチ」を発表いたしました。
◎ その後も同様の技法で本物のインゴットを使用したり、文字盤に隕石を使用したモデルなどをデザインし、素材とともにユニークな時計を次々に誕生させました。
◎ インデックスに国際信号旗を記したアドミラルズ・カップ・シリーズはコルムのスポーツモデルを象徴するもっとも著名な時計の一つです。
◎ 2000年、オーナーが変わりまして、大胆なデザインで市場に登場いたしました。台形ケースの「トラピーズ」は、時計デザインにまた新たな新境地を切り開きました。
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■2005/12/11 (日)
誠の人体のはなし 背骨について |
● 井尻正二が、人体の矛盾という本のなかで、その起源の古いものから新しいものの順に、人体のいくとかの器官をとりあげ、その歴史をふりかえっています。
● ヒトの脊柱の特徴としては、直立二足歩行をすることに関連して、前後に湾曲をくりかえしている点です。
● なかでも、脊椎から仙骨にかけての前方への湾曲が強く、その角度は60度以上にたっしています。この湾曲によって、骨盤が後ろに引かれ、その結果として、背骨からの中心線が股関節のうえ上を通ってまっすぐに下肢へとのび、体重をうけとめています。
● 歩きはじめた子供がヨチヨチとしか歩けないのは、一つには、腰の背骨が十分に湾曲していないために、下肢が体の中心線から前方へずれているためです。
● 2億年あまりまえに出現した哺乳類は、7個の頚椎(けいつい)をもち、腰椎には肋骨がなく胸椎との区分がとくなど、哺乳類としての基本形を、すでにそなえていました。
● 爬虫類からさらに4億年前の両生類、そしてさらにさかのぼると古生代の魚類の背骨に源をたどることができます。つまり、古生代の魚類がつくりあげた背骨の部品を両生類が組み立て、陸上での体重の加重に耐えるものとしたのです。
● その最古の魚類とは、古生代のカンブリア紀の終わりにあらわれた、アナトレピスとい無顎類です。
● ヒトは背骨をまっすぐ立てることによって、直立姿勢を手にいれ、手ぶらになった手で道具を使って、脳を発達させてきました。
● しかしその一方で、脊柱を構成している、もっとも古い要素の脊索、つまり髄核との調和がはかれずに、椎間板ヘルニアという病気に悩み苦しんでいます。
● ヒトの骨の病気も、その源を5億4000万前の、古世代カンブリア紀に由縁があるのです。
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■2005/12/07 (水)
誠の源流ばなし マルタ島 2 |
◎ 地中海のほぼ中央に浮かぶマルタ島は、多くの人から「地中海文明の生きた博物館」といわれています。
◎ マルタ島の城壁の見張塔上部の眼のマークはマルタ島にとって重要な意味をもっています。このマークは、メースンのシンボルマークの眼と同じです。
◎ マルタの眼のマークは耳のマークとともに敵襲来を見張るマークとされています。
◎ マルタ島に人が住み始めたのは、新石器時代の初期です。ガールダラム洞窟の遺物や、その近くの組石遺跡がそれを伝えています。
◎ いまのマルチーズ(マルタ島の人々)の祖先は前750年〜500年頃。フェニキアやカルタゴから直接、またはシシリー島を経てマルタ島にきました。
◎ マルチーズはマルタ語をしゃべりますが、マルタ語を構成する主要部分はアラム語です。またマルタ島には古代・女神信仰のタルシン神殿がありますが、旧約聖書にタルシンの記述がみられます。
◎ マルチーズの言語や、マルタ島に存在する旧約聖書に記述されたタルシンの名称から考えますと、マルチーズのルーツは、イスラエル(ユダヤ)の民に求められます。
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■2005/12/02 (金)
誠のブランド物語 ブレゲ |
◎ ヨーロッパの王侯貴族や名士たちを魅了しました時計が、「ブレゲ」です。
◎ マリー・アントワネットはもとより、ルイ16世、ナポレオン、ビクトリア女王、ナポリ王妃たちが選びました時計がブレゲでした。
◎ ブレゲの歴史は、アブラアンールイ・ブレゲが、1775年に自らの店をオープンしたことに始まります。
◎ この男こそ、時計の歴史を2世紀早めたといわれます天才時計師です。彼なくしては機械式時計の歴史は語れません。
◎ 画期的な機構を発明していきますがその技術の集大成が、マリー・アントワネット王妃の注文で生まれました超複雑懐中時計「マリー・アントワネット」です。
◎ その複雑なムーブメントをスケルトンのダイヤルで見せます複雑にして美しい時計のなかの時計です。完成する前に王妃は断頭台の露と消え、時計をみることはありませんでした。
◎ この時計は1827年に完成しますが、その後も数奇な運命をたどり、1983年エルサルムの美術館から盗まれ、行方は未だ不明のままです。
◎ ナポレオンがアルプス越えの時、もっていたのも、ブレゲのキャリーの時計でした。
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■2005/11/28 (月)
誠のメースンばなし トーマス・B・グラバー 4 |
◎ 明治建国の洋商、トーマス・B・グラバー は、フリーメースンともいわれています
◎ 高島炭鉱の本格的採鉱は明治2年に始まりました。
◎ しかし、皮肉なことに、明治維新は、グラバー商会の倒産を招くことになりました。諸藩は内戦で財政難におちいり、グラバー商会への返済が滞ったためです。
◎ 内戦終結で武器、艦船が売れなくなった上に、薩摩藩を筆頭に有力諸藩に掛売りが多かった為、その返済が滞ったからです。
◎ 倒産でグラバー商会は消えましたが、彼は高島鉱山の実質的な経営者としては残り、明治14年、岩崎弥太郎の三菱商会が経営権を握ると、弥太郎から高島コウギョウ所所長に任命されます。
◎ グラバーは後半生を三菱とともに歩むことになります。
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■2005/11/14 (月)
誠のブランド物語 ショーメ |
◎ ナポレオン皇帝の戴冠式の宝冠はじめ多くのフランス王室用ジュエリーを製作しました宝飾店です。
◎ 1780年の創業以来、ショーメは「愛のジュエリー」の製作で名声を得ています。ヴァンドーム広場のショーメは、数多くの結婚に立ち会ってきました。
◎ 1810年には、ナポレオンと結婚するハプスブルグ・ロレーヌ家のマリー=ルイーズ皇女のために、ショーメが結納の贈り物を製作いたしました。
◎ 19世紀末から20世紀初頭にかけて。ロシュフーコー家のテレーズやロシア皇女のイリナ・ユスボスなど、美しいプリンセスたちも、結婚式用のジュエリーのデザインをショーメにまかせました。
◎ 1919年にはドゥドーヴィル公爵夫人が、プリンス・シクスト・ドゥ・ブルボン=パルムと結婚する令嬢のために、ダイアモンドとプラチナの素晴らしいティアラを注文しました。
◎ 現在、ショーメミュージアムが所蔵し、ショーメの伝統技術とスタイルを伝えています。
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■2005/11/06 (日)
誠のメースンばなし トーマス・B・グラバー 3 |
◎ 明治建国の洋商、トーマス・B・グラバー は、フリーメースンともいわれています。
◎ 武器、艦船の取引で長崎随一の外国商人になったグラバーは、慶応元年(1865年)、
長崎っ子のドギモを抜くデモンストレーションをやってのけました。
◎ 上海博覧会に出品された英国製の蒸気機関車を輸入して大浦海岸に300メートルはどの線路を敷き、客車3両をつないで走らせてみせたのでした。
◎ 日本の近代化に力を貸そうとしましたグラバーは薩摩藩と協力しまして、長崎港に近い小菅に造船所をつくりました。ドック建設中に、土佐藩から派遣されてきた下級武士、岩崎弥太郎と親しくなりました。
◎ これがグラバーと三菱財閥との縁の始まりで、彼の後半生を彩ることになります。
◎ 官軍が勝利しました、慶応4年(1868年)グラバーは新しい事業に手を伸ばしました。高島炭鉱の開発です。
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■2005/11/02 (水)
誠の古代のはなし グノーシス 3 |
◎ 古代キリスト教の異端思想にグノーシスという思想があります。この言葉は「キリスト教グノーシス」と同じ言葉です。
◎ キリスト教と関係のないグノーシス主義思想もございます。その中で、マンダ教というものがあります。最近までイラクに現存していたようです。
◎ マンダ教徒にとりまして、魂の故郷である「光の王国」は天空を超越したところにあり、目に見えるこの宇宙は、まるごと、悪しき「闇の支配者」の勢力圏にあたります。
◎ その中に幽閉され、自己の起源をも忘却してしまっている人間を覚醒させるため、光の王のもとから、救済の使徒として「生命の認識」が遣わされます。
◎ このメッセージが、宗教としてのマンダ教にほかなりません。「マンダ」とは「認識」つまり「グノーシス」を意味しています。
◎ 子孫を残すなどという行為を積極的に勧めるなど、型破りなところもございます。
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