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四日市を離れたのが1984年。14歳の時。それから10年後、ちょうど父親が単身赴任していたこともあって、再度四日市を訪れた。
(中学時代の友達が何人も集まってくれたり、中1時代に好きだった人に思い切って電話して再会したり、となかなかドラマティックな再訪であった!)
その時、僕の住んでいた「社宅」の跡地を見た。
「一号館」が、あたりまえだが普通に営業しており、そこに「社宅」があった、ということは感じられないような雰囲気になっていた。
時代は移り変わり、万物は流転するのだから、仕方がないこととはいえ、かなり切ない気持ちになった1994年。
5年前に知り合った友達が、今、四日市に住んでいる。
その友達を訪ねる、という目的もあり、僕と「四日市」との縁は、ラッキーなことに、続くことになる。
2000年に、その友達の引越しの際に、僕は四日市を訪れた。
三重県でいちばんの大都市としての「新しい姿」を発見した再訪であった。
その時には、感傷的な気持ちは僕に起こらなかった。
いつしか、子ども時代の思い出の土地としての四日市に、期待をしなくなっていたからであろう。新しい発見、それで十分だ、と思っていた。
その友達から、ごくごく最近、楽しい知らせを聞く。
「来来軒」って知ってる?あの辺、住んでいたところだよね?
あそこの「とんてき」がおいしいから、今度四日市来たときには、行ってみようよ!
「来来軒」!
僕の「社宅」のすぐそばにあり、僕は家族に何度か連れて行ってもらったことがある。その時から、「とんてき」がその店の看板料理だったのだ!
なじみがある店が、20年以上もの時を経て、まだ健在である、ということはすごく嬉しかったし、四日市生まれではない友達もその店の味を楽しんでいる、ということを知って、それもまた嬉しかった。
「ふるさと」四日市を再訪する日は結構近そうである。
大阪の友達が用事で姫路に行った帰りに寄ってくれたので、ちょっと気になっていたJR住吉駅北側の喫茶店「かごめ家」(素敵な雰囲気で、種々のコーヒーも、手作りシフォンケーキもおいしかった)に行って、大いに語った。
ひさびさに、いろいろな話題で語れて、楽しいひと時であった。
互いの思い入れのある土地についての話題になった。
その友達は、大阪に大きな愛着を持っている。
生まれたのは大阪市内で、育ったところ大阪南と、細かい意味での場所は違うものの、両方とも広い意味で大阪であり、「ふるさと」は、広くとらえた、大阪である、と言っていた。
僕は、今住んでいる神戸に、すごく愛着を持っている。
でも、「ふるさと」といえば、僕が生まれ、中2の5月までの子ども時代を過ごした三重県四日市市になるだろう。
四日市時代、僕は父親の勤める会社の社宅に住んでいた。
その社宅には、子どもが遊べる大きな空き地があり、学校から帰ってからは、毎日そこで日が暮れるまで遊んでいたのを思い出す。
そこでは、近所の仲間と安心して遊べた。子どもにとって十分な広さがあった。
家の建物は古くて、冬にはすきま風が入るような社宅だったが、遊び場が近くにあること、そしてその家の雰囲気自体も大好きであった。
しかし、時代は、オイルショックからの回復基調から「バブル経済」へと至る過渡期で、多くの「土地」は、金を生み出すもの、つまり売買の対象とみなすのがあたりまえになってしまった。
また、会社経営の合理化という理由もあって、「社宅」を、その土地を多くの企業は手放し売ることにしたのだ。
「社宅がなくなるよ」ということ親から聞いた僕は、すごく寂しい気持ちがしたのを覚えている。
僕が育った社宅は父親の関西転勤、西宮への引越しの直後ぐらいのタイミングで取り壊された。
今では、「一号館」というスーパーができている。
情報誌は、時にたいへん役に立つ。
レストランを探す時や、映画・音楽等のエンターテイメント情報が欲しい時などには、情報誌を読むことで、比較的安価に必要なインフォメーションを得ることができる。
しかし、役に立つ情報の一方、読む人を不安にさせることで消費を煽っている、と思われるような記事も多く見受けられる。それどころか、個々人の価値観を否定されるような記事まで載っていることもある。
「こんなことも知っていないとビジネスマンとして恥ずかしいよ」
「これを持っていないとモテないよ」等々。
自分自身に、情報を噛み砕いて処理できる心の余裕がある状態ならば、「時に役立てる」「時に切り捨てる」ということができるが、自分にそのパワーがない時など、自分を憂鬱にし、焦る気持ちにさせる存在にもなり得る
どんな情報も、市場原理によってそのほとんどがもたらされる以上、それを発信する側の思惑、策略があるのだ。
「真に受けない」という姿勢が必要であろう。
自分の中で「役立てるもの」と「切り捨てるもの」を判断する必要がある。
首都圏でリクルートが発行の若いビジネスマンを主な対象とした「R25」という無料人気情報誌がある。
エンターテイメントから政治経済に至るまで多様なテーマを扱い、内容がなかなか豊富である、といえる。
関西に住む僕は、関東に住む友人にその存在を教えてもらった。
気楽に読めるし、興味をひかれる記事も多い。
最近読んだ、ひとつの特集記事は、「さおだけ屋はなぜ潰れないか」(光文社新書)を著した公認会計士・山田真哉氏監修の記事であり、物を上手に売る、うまく宣伝文句を考える、ということについて書かれており、たいへんおもしろく読めた。
「情報誌」に、こんな感じで自分にヒットする記事があれば嬉しい。
「R25」は無料だから、なおさら得をしたような気分になれた。
しかし、同じ号の別の記事は、自分にとって少々不愉快に思えるものがあったり、「ビジネスマンたるべきもの、こうあるべき!」という価値観を規定していたりするものがあった。
そんな時は迷わず「切り捨て」!
「情報誌」は自分が愉快になれる記事だけ取り入れるのが得策。
決して「真に受けない」。
それに利用されちゃ、損であるし、愉快ではない。
情報誌とは、読む人が利用するものである。
そのことを心がけて、これからも楽しく情報誌を使っていきたい。
関西に来てから20年ほど経つ。
いつしか、自分は「関西人」である、と自然に思えるようになってきた。
僕は父親の仕事の関係で、何度も転居・引越しを経験している。
「そのことがあなたの考え方とかに影響を与えているね」と言われることがある。
生まれたのは三重県の四日市市。
そして、幼少の頃何度か住む土地を移り、小学校入学前に再度四日市に戻った。それから中2の5月までは転居がなくその土地にいた。
だから、僕の「こども時代」は三重県でも、名古屋に近い文化圏である四日市がその舞台である。
今の実家がある兵庫県西宮市に来た当初である中2の時、西宮が、そして関西がイヤでイヤでたまらなかった。
14歳。ちょうど思春期の自意識過剰な時期。
「転校生」としての日々がうまくいかなかった、というのが何よりの理由である。
(なぜうまくいかなかったか、ということはまた機を改めて書きたい。)
西宮での中学時代は、消し去りたいような苦い思い出が多い。
それなりに愉快な出来事も断片的に思い出せるが、イヤなこと、自信がなくなることがとても多く、もう二度と戻りたくない時代である。
(その中学時代の辛く苦しい思いが、その後の僕にとって、大きなパワーを出させてくれる源泉のひとつになったことも、また事実であろう。)
自分は関西の人間じゃない。なってたまるか。
そんなことを思っていた中学生の頃。
少しずつ生き方が器用になったのと、大学生以降、周囲の友達にすごく恵まれたこともあって、僕は、いつの間にか関西での生活に楽しさを覚え、同時に、「関西」のことをだんだん好きになっていった。
そして、今、僕の住む土地が好きである。
特に好きだと思えるのは、ほかの地方から関西に遊びに来てくれた友達を案内して、それを喜んでもらえる時だ。
僕の好きな場所で、友達が楽しい思いをしてくれる、それがとても嬉しい。
「嫌い」からスタートした、関西ライフ。
「嫌い」を経た分だけ、「好き」の内容が複雑で味濃いものになっているのかも知れないな、と思う。
実際、僕の関西LANGUAGEは、ちょっと中途半端で、バリバリの関西人には見破られる。
四日市テイストを持つ「ニセ?関西人」「半分?関西人」。
そんなスタンスが結構好きだったりする。
「僕らの音楽」(フジTV系)を録画しておいたのを観た。
今回は、THE BOOMの宮沢和史を中心に、彼が対談したい相手として選んだ小泉今日子をゲストに迎えてのプログラムだった。
THE BOOMの歌、つまり宮沢和史の歌の世界には、僕はすごく身近なものを感じて共感することも多い。
彼は、地球上にある音楽のあらゆる要素を彼の世界に取り入れている、ということで僕は、おもしろさを感じている。
彼の代表作といえば「島唄」と「風になりたい」を挙げることができるが、両曲とも、世界のいろいろな場所で、いろいろな場面で聞かれ、歌われ、人々に親しまれている歌である、といえるだろう。
「島唄」は、僕がライフワークのひとつとして参加する国際交流の場面でもよく使わせてもらう歌である。
この歌はアルゼンチンの歌手がカバーし、アジア。中南米だけでなく、今やヨーロッパ(フランス・イギリス・ポーランド・ブルガリア等)にも広がっているという。
この歌を聴きたい人が世界のいろいろな場所にいて、彼は世界中を旅し歌う。
「音楽で世界の人々をつなぐ」そのことも、彼の活動の大きな部分である、とも言えよう。
宮沢和史と小泉今日子はともに39歳。
ふたりが知り合ったのは35歳の時であった、とのことである。
2人は番組の中で、音楽について、そして、これからの人生について語る。
歌を作る、歌うということに対して2人が共感していたことが印象的であった。
「歌う、ということは自分に向き合うこと。それは時にしんどく、押しつぶされそうになることもある」
音楽にしても文章にしても、自分としっかり向き合っているかどうかということが問われる。心から表現したものこそ、自分に偽りない表現物・作品であるといえるだろう。
また、宮沢和史は、不惑、といわれる40を前にして、「安心してとどまりたくない」と言っていた。
小泉今日子は、「私は、年を取ることは素晴らしいことで、日々を年々重ねていくことが楽しい」と言っていた。
僕自身も、あと5年ほどで今の彼らの年齢になる。
常に動き続け、変わり続けていけたらいいな、と思う。
そして年齢を重ねることを心から楽しんでいけたらいいな、と思う。
素敵な「人生の少し先輩」を見ると、元気づけられ、勇気づけられる。
そして楽しい気持ちになれる。年を取るのもおもしろそうだな、と。
神戸の中心部から、少し西に外れたところに「新開地」がある。
このエリアは、前の職場に通う電車の乗換駅だったこともあって、僕にとって馴染みのある街である。
職場が変わって、クルマ通勤をするようになって、この街に足を踏み入れることは少なくなったが、今でも僕にとって、三宮、元町、住吉、岡本、ハーバーランドと並ぶ存在として、身近な街の風景のひとつであり続けている。
僕は訪ねてきてくれる友達を案内することが、趣味のひとつといっても良いくらい好きなのだが、「神戸訪問3回以上」のベテラン訪問者(?)を案内する時に、このエリアを歩くことがある。
オシャレな雰囲気とは遠い商店街。パチンコ屋多し。
オッサン率が高い。
商店街の北端にある、湊川公園。
休日の昼下がりには、人生のベテランの男性がいっぱいいて、ベンチでの将棋を楽しんでいる。
「福原」と呼ばれる歓楽街。男ひとりで歩くと、確実に道の両側に並ぶ風俗関係の店に入るよう声をかけられる。
(女性と一緒に歩いていれば声をかけられないので安全!?)
その他にもいろいろ。このエリアには独特の味わいを持つ店や建物が存在する。
なかなかディープな街である。
でも、下町の何ともいえないあたたかなムードがあって、この街のことを好きな人もすごく多い。
このエリアには、大好きなカフェがある。
「Nafsha」である。
このカフェは、様々な雑誌に紹介された人気の店でもある。
「行きつけの店」というのを持てたらカッコいいな、と思っているが、僕にとって、店の人と語らいもできる、そんな「行きつけ」だと勝手に思っている。
「Nafsha」のオーナーさんとは、7年ほど前、旅のトランジットの際にタイ・バンコクのドンムアン空港で出会った。その時に、新開地に「カフェを開くこと」を聞いた。
それから3年ほどして、僕は初めて「Nafsha」を訪れる。
オーナーさんは、僕のことを覚えていてくれた。
すごく感激して、すぐにこの店のファンになった。
5日、神戸に来てくれた友達と「Nafsha」に行き、新開地を歩いた。
新たな発見もあり、たいへん楽しい時間だった。
もし、神戸を離れることになったとしたら、この「Nafsha」を懐かしく思い、離れる前には絶対行く場所のひとつになるだろう、と思う。
そう思うと、ちょっとセンチメンタルな気持ちになった。
好きな場所。好きな店。そんな存在が、とても嬉しい。
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■2005/04/24 (日)
Radio,Radio,Radio |
部屋の模様替えの途中の段階では、持っているCDMDコンポの置き場所に困って、部屋で音楽を聞くこともままならなかったのであるが、最近ようやく、その位置が確定。
音楽をとても聴きたい時に、便利に聴けるようになった。
通勤のクルマの中で聴く音楽も良いが、家で聴くとよりリラックスの気持ちを僕に与えてくれるような気がする。
CD、MDなどで音楽を楽しむ機会ももちろんあるが、もっと多くなったのが、ラジオを聴く時間である。
ここ2週間ぐらい、家にいる時間には、ほぼ「FM802」を、そのCDMDコンポで聴いている。(その分、TVの視聴時間がかなり少なくなったような気がする。)
お気に入りは、大阪発信の「FM802」である。
このラジオ局は、ある種のこだわりを持って選曲している。
「アイドル」の歌は徹底して流さない。
TV番組の企画によってヒットした歌も、ほとんどの場合流さない。
現在売れているアーティストの歌より、これから輝きを放ってきそうなアーティストの歌をより多く流す。
そんな姿勢が、僕の心にかなりヒットしている。
そのポリシーが大好きである。
(「802」で流れないので、すごくヒットしている歌を僕は耳にすることが著しく少ない。例えば「浜崎あゆみ」や「あやや」が出している楽曲を、僕はほとんど知らなかったりする。
松浦亜弥の「めっちゃホリデイ」は、同僚の歌うカラオケで初めて聴いた。そのせいか、あややを見ると、どうしてもその同僚の顔が浮かんでしまう…。)
「FM802」の開局は1989年。僕が大学生になった年であった。
それから16年、その思い入れの強弱に波はありながらも、僕は「802」を愛聴し続けている。
これまでの自分自身のいろいろな場面に、その時その時にラジオから流れていた歌が大きくリンクしている。
そんな歌々から、時に元気をもらったり、時に悲しい気持ちに浸るのを手伝ってもらったり、時に感動の気持ちをもらったりして、僕は「大人」としての日々を歩んできたような気がする。
(もし関西を離れることになったとしたら、ほかのいろんなことと離れることへの寂しさはもちろんのこと、「802」を聴けなくなるってことにも結構寂しさを感じるような気がする。)
この4月、改めて「FM802」のことを身近に感じている。
その存在を、部屋の模様替えで、再確認できたような気がする。
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■2005/04/07 (木)
机とイスの生活、開始。 |
休み休みしながらも進めてきた部屋の模様替えが、もうすぐ終われそうである。
ひとつ大きく変わった点としては、地べたの生活から、「机とイスの生活」への変化である。
実家で不要になった、パソコンラックと事務用イスを僕の住むワンルームの部屋に導入することにした。
工事のプロセスの大部分は、その2つの家具を部屋に入れるための作業だった、と言える。
今日、僕の部屋をより機能的にしてくれるであろう2品を、実家から運び入れた。
愛用のパソコン・日立PriusNoteは、床に近い小さなテーブルの上でなく、実家の不要物から復活したパソコンラックの上にある。
そして、今、地べた(床+座布団)でなく、イスに座って僕はこれを書いている。
僕の部屋は、まったりするのにはいいが、何か書き物をしたり事務的なことをするのにはとことん向かない部屋であった。
(そうであることを言い訳に、シャキッとできなかっただけかも知れないが…。)
パソコンをしても、書き物をしても、やがてゴロっと横になってしまう、ということが多くあった。
その誘惑を遠ざける必要性がある、と感じたことが、僕が「部屋の模様替え」を決意した大きなきっかけである。
本格的に物を書くこと(自己表現)をしたい、と思うようになったことが、その気持ちを起こさせてくれたのだ、とも言える。
「机とイスの生活」の開始。
部屋の一角に「書斎」を持ったようで、ちょっといい気分である。
ひとり暮らしを始めてからもうすぐ10年になる。
僕が現在住んでいる神戸・住吉(東灘区)のワンルームにも7年半いることになる。(その前は、神戸北区に2年半ほど住んでいた。)
この住吉という街がたいへん居心地良くて気に入っている。
シングルでいるかぎりは、ここに住んでいたい、と思っている。
ちょっとずつではあるが、お気に入りの場所も増えてきた。
少し前までは、「ひとりランチ」をする時には、いつも決まった店に行っていたりして、マンネリ気味にも感じられたのだが、最近、また近所の店の新たな開拓を始めた。安心して馴染みの店に行くのは落ち着いて良いが、元気なときには、敢えて変化を求めてみたい。
住んでいる部屋は、かなり快適である。
しかし問題点があった。「まったり」するのにはいいが、持ち帰り仕事をせざるを得ない時などに、どうも気持ちが乗らないのだ。
「ここは、まったり、ゆっくりする場所!」と自分の心の中で決め付けてしまっているような感じである…。
故障により1月末にパソコンを買い換えたのをきっかけに、部屋の模様替えを決意。その気持ちは、2月中旬インフルエンザで倒れたことで中断するが、3月になって再燃。
目指すは、まったりムードは保ちつつも、「より機能的な」部屋である。
予定のない週末の日を使っての模様替えが現在進行中である。
半分ほど進んで、工事中の状態の我が部屋である。
あまり使わずそのままにしていた物を一掃整理。
誰かに譲れるものは譲って、実家の家族がいらなくなった物をもらったりして、整理用の家具類を今のところ買わずに済んでいる。
今のところ、模様替えは4月中旬完了予定であるが…。
ぼちぼち少しずつでも進めていきたい。
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■2005/03/10 (木)
文章にこめられた気持ち |
先日、仕事で「研修報告」なるものを提出した。
心の中に、どこかで、その「研修」そのものに意義を疑う気持ちを持っていたので、気持ちは前向きになれず、ただ淡々と書きすすめることだけ、という姿勢であった。
その文章に「気持ち」という要素は、ほとんど入っていない、と言えるだろう。そんな文章を読み返したい、とは、正直思えないのだ。
その仕事を終え、心の重荷が取れたタイミングで、
友達から送ってもらった、「卒業論文」が届いた。
その友達は、研究対象に対して、思い入れを強く持って取り組んでる、と聞いていた。それが形になったものを読むことができる、ということで、とても嬉しい気持ちになった。
研究内容は、僕にとっても興味の強い分野だったので、楽しみにしながら読み進めていった。
その文章が、僕の心に響いた。論文で、ここまで心に響く文ってあるの?
と思えるほど。何度も読み返したい、そう思える文章であった。
論理性の高い内容を表現した文章にも、しっかり「気持ち」というものを感じることができるのだ。
たくさんの書物を読んで、考え方のベースができているのに、観念にとらわれすぎることなく、感性を大切にしているように感じた。
こんな文章が書けたらいいな。
対象に対して、しっかり愛着を持って、しっかり取り組めたらいいな。
もちろん、すべての仕事に対して気持ちを入れることはできないであろうが、もっと多くのことに興味を持てたら、文章を書くにあたっての姿勢も変わるだろう。
友達の「気持ち」の入った文章に、大きな刺激を受けた。
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