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■2010/03/06 (土) 19:18:51
愛しかない二人 |
リリー松岡はドサ周りの歌手で、『男はつらいよ』シリーズに4回も登場し、最も車寅次郎の妻に近い存在だった。その関係は22年続いた。短くて2年で再会し、長くて15年間も会っていない。その間リリーは2回結婚しているが、寅次郎は相変わらず片思いに明け暮れる。リリーは常に寅次郎との結婚を考えたし、寅次郎もうっかりリリーに「所帯でも持つか」と言ってしまうほど(『ハイビスカス』(80年)、リリーを愛していた。ここ数日間で、リリー松岡と寅次郎の「愛」の軌跡4作品を見直してみた。どうして、同シリーズの他の作品のいわゆるマドンナ達と違って、リリーが寅次郎にフィットしたんだろう?最初の『忘れな草』(73年)の時点で、寅さんがリリーに惚れたのではなく、リリーが寅を必要としたって事と、これは大きな要因なのだが、二人が旅、それも生計の為に仕方なく、上等ではない質の旅暮らしを常としていたからだ。『忘れな草』に下記のような印象的なやりとりがある。
リリー:ネェ、あたしたちみたいな生活ってさ、普通の人とは違うのよね。それもいいほうに違うんじゃなくて、なんてのかなぁ、あってもなくてもどうでもいいみたいな、つまりさぁ、アブクみたいなもんだね。
寅次郎:うん、アブクだぁ、それも上等なアブクじゃねぇやな。
「普通の人」とは寅次郎風に言えば「カタギの人」で、二人は、自分達の言動や行動は彼等に理解しがたいものがあると思っている。どんな暮らしか?
『紅の花』で以下のようなやりとりがある。リリーが奄美大島の暮らしを寅次郎の妹さくらに語っているとき、昔のことを思い出すことがあるとリリーが話すその内容。
リリー:借金で苦しんだこととか、ドサ周りのキャバレーでさんざん苛められたこととか、二度も三度も結婚して別れたこととか、あああ、わたしは馬鹿だったんだなぁなんて…ねぇ寅さん、判るでしょ。
寅次郎:うん、俺も一緒だよ。二日も三日も雨に降り込められて懐はカラッケツ、かび臭い畳に寝っ転がって天井なんかぼんやり眺めていると、色んなこと思い出すなぁ。宿銭溜めてさ夜逃げしたり、警察に捕まって油絞られたり、二度も三度も結婚して別れたり…(これは洒落だった)
ぼくは、この二人に究極の・理想的な愛情を感じる。それは、女と男でなければありえない、労(いたわ)り合いという名の愛だ。理解なんて上等なモンじゃない、判ってしまうという気持ちだ。時に深く傷つけ深く後悔し、そのネガティブな気持ちを乗り越えるほどの磁力が二人にはあった。そうあればよいのだ。
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■2010/02/27 (土) 21:22:14
どうなんだろう |
仕事先のボスが三上治さんのコラムのコピーを呉れた。冬季オリンピックに関する話題だった。今、そのコピーが手元にないのでその文章を引用できないが、冬季オリンピックをつまらなくしているのはメディアの所為だと言っていた。曰く、「国威高揚のために金メダル、金メダル」と騒ぎすぎだと言うのだ。ついては石原慎太郎氏の「愛国心がないからメダルが獲れない」とゆうような発言を批判していた。
メディアが金メダル、金メダルと騒ぐのは、その方が視聴率が取れると思っているからに過ぎない。獲れるかもしれない、獲ろうとしている、という限りにおいては、我々は期待していいわけだし、予め、獲れそうもないよ、などとは公言したくない。そりゃ、飲み屋で仲間と話している時なんぞは、獲れるわけないじゃん、とは言えるけど、テレビなど誰が見ているかもしれない装置で、そんな事言っても銭にはならない。
今日、お袋に「あんた、何故こんなに韓国は金メダルが獲れると思う」と訊いたら、即「食べ物が違うんじゃないの」と答えた。
そのことを証明する素材は俺にはないし、お袋もキムチだとかそういう食べ物からくるイメージで言っているんだろうと思った。でも、そうかもしれない。一方で、韓国には徴兵義務があるからだ、という人もいる。それについては「韓国の徴兵制度」で検索してみてください。このことは「愛国心」とゆうものにも繋がることでもあります。でも、徴兵義務は男性にしかないわけで、女子も金メダル獲ってますから…。
体力的にも精神的にも、日本の選手達とは違うものがあるのは事実でしょう。
で、今回の冬季オリンピックを見ていて気になったことがあるのですが、それはカーリングの選手達の話し方でした。この競技では試合中の選手達の会話がマイクを通して聴こえるようになっていました。その試合の傾向と対策を選手間で話し合うその話し方は、日本中の若者(または若者ぶっている人)の話し方に共通していて「〜だよねぇ」というような当たり障りのないような語尾のものでした。また、投げた人がストーンの前をブラッシングする人に指示する時の声の質が気になりました。それはそれで伝わればいいので、どうこう言っても始まらないとは思うのですが、俺には凄く幼稚に聴こえました。全身で恥も外聞もなく叫んでいるんではない感じがしたのです。それが結果に繋がったとは言いません。ただ、精神の強さ弱さと言う意味合いからすれば後者を感じました。
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■2010/02/26 (金) 10:02:21
甘い夜の果て/吉田喜重の女性問題 |
「金が懐にあるおかげで凄くいい気持ちになれる」
吉田喜重の『甘い夜の果て』の主人公は、デパートの販売員をしていて貧相なアパートに住んでいるが、お金が人間のステイタスを高めるものと信じていて、その為にバーのマダムに擦り寄り施しを受け、鋳物工場の未亡人に近寄り会社を継ごうとする。映画の冒頭では、峠の食堂から娘を強引に連れ出し、マダムのバーに押し込みその手数料をもらう。
峠食堂の娘は、母親とふたりで暮らしていたが、食堂の売上金から靴を買ったことを母に咎められ、いわゆるふしだら母親にも愛想がつきたところだった。そういう状況にでもしねぇと、男が突然押しかけ連れ出すなんて事は不自然なわけで…。
バーのマダムは単純に金はあるけど愛=セックスがない飢餓感に付込まれる。主人公と幾度か逢瀬を重ねて、もマダムは主体的であろうとするけれど見栄を張っているだけ。鋳物工場の未亡人はというと、事業を支える夫が死に、酒呆けしている父親の面倒をみているが日々は空虚。そこに主人公が身勝手な論理で入ってきて自分無しではいられないボディ&ソウルにしてしまう。男はその未亡人との結婚を約束する。未亡人の立場からすれば、約束させられたって感じ?
この3人の女の中で、主人公に体を許さないのが峠食堂の娘で、またバーに来るおっさん達にも許さない。例え高額の金を準備されても、拒む。彼女には、金や人間に束縛されたくないという意志があったから。という感じ。
で、主人公はバーのマダムの戯れ(実は本当だったかもしれない)の結婚話も蹴り、金持ちになるチャンスの未亡人と結婚することになるが、その鋳物工場は大手石油会社に買収されていた。そのことを知った男は未亡人に「(その窮状をさんざん非難した挙句)おそらく奥さんは恋愛だというでしょう。そんなものお金のある奴がいうことです。僕は金のない奴を軽蔑します」と明言する。で、しこたま酔っ払ってマダムの店に行くがマダムから手切れ金を投げつけられる。
じゃ娘はどうしたかというと、恋愛の対象となった男とのドライブの最中に事故死しちゃうということで、男の逃げ場がなくなっているという設定。
あとは、狂ったように笑う男が映されて終わり。
1961年、高度経済成長期を象徴する石油コンビナートを背景に展開するジュリアン・ソレルの物語は、2010年の今でも変わらずにあるもので、人間の全ての欲望に何ほどの変化もないことはみなさんご承知の通り。
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■2010/02/20 (土) 06:42:51
マイキー!受賞作なし |
お袋に頼まれた買い物をしに地元資本のスーパーマーケットに行った。と、思わせぶりに始まるが、そこで「文芸春秋」を立読みしたという話に過ぎない。今月号は、芥川賞の受賞作品が掲載されている。いつぞや新聞の広告でも舞城王太郎(まいじょうおうたろう)さんの作品が「受賞作」として掲載されているような雰囲気を醸していたので、実際今月号を見て驚いた。今回は受賞作なし、だったんすね。
ええい!まぎらわしっ。
受賞作品がなかったら候補作品を載せる必要ないんじゃない?
雑誌社の方にとっても苦肉の策、えばら焼肉のたれ、なんとか販売部数を稼ぎたかったんだろうな。ヴァンクーヴァーの冬季五輪見ていても、金メダルが獲れないという現実が僕らの目の前に遠慮なく提示されているわけだが(関係ないですねぇ)、受賞作がないときもあるわけで、そりゃ、文芸春秋社も算段に入れておかないと…
ぼくは舞城王太郎さんの名前をずっと「マイキオウタロウ」と読むのだと思っていた。ほら、テレビで「マイキー」って変な人形が出てくるやつあったじゃないすかぁ。その辺をもじった名前かと思ってましたが、福井県の今庄(いまじょう)のアナグラムだって言う説があるんですね。あと、覆面作家ってことで、世間には面が割れていないらしく。でもデラックスなペンネームだと思います。作品は最近の若い人らしく、文学を愉しんでいらっしゃるって感じがひしひしと伝わってくる。読んでて愉しい。でも芥川賞選考委員の方々の評価は厳しい。これが冬季五輪の現実だわな。
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■2010/02/19 (金) 03:50:38
千里万里の旅をする |
ときどき、手紙や小荷物が届くのを嬉しいと思うのは俺だけではないだろう。
今日(18日)かつて会社の先輩で、今は長崎に住んでいらっしゃるIさんから、自ら編んだ焼酎三杯分(Iさん曰く)の時間で聴くコンピレーションCDとの干物が届いた。家では酒を飲まない俺は、送っていただいたCDRを聴きながらその干物を齧りながらパソコンに向かっている。なにより嬉しいのは、曲のリストがないことだ。これは不親切なことではなく、実はとても親切なことであります。聴き続ける楽しみが一曲ごとに出てくるからです。(この表現可笑しいでしょうか?) さきほどあがたさんから電話を頂き、20日の「のんき亭」でのライブの件で話していたのですが、件のCDRの一曲目にあがたさんの「MEZCAL」が置かれていたのが奇遇でした。何曲か聴き続けると友部正人さんともう一方が歌う「一本道」(実はアダルトビデオの製作会社にも同じ名前があるのですが)が収録されていました。友人のITさんもこの曲が大好きだと仰っていますが、俺は少しひん曲がっている所為かこの曲はあまり好きではありません。解り易いとでもいうのでしょうか…友部さんの歌なら「空が落ちてくる」とか「公園のD51」とかが好きです。で、「一本道」の後にアコーディオンで奏でられる「港のロキシー」を置くあたりがIさんらしくてまた嬉しい。抒情的です。飲んでいれば更に酒が美味しいでしょう!で、友部さんの「ライクアローリングストーン」はもう一方の歌声の迫力に押されちゃいます。友部さんはロッカーじゃないんですね。ディランは詩人でロッカーだった。歌い方を如何様にも演出できるけど、友部さんは丁寧な語り手なのではないでしょうか?そしてラストに置かれた曲は懐かしくも新しい「花の街」。純粋な希望とか漠然とした愛とか悲しくも失ってしまった夢とかともだちとか…♪美しい海を見たよ…この一行になんとも言えない寂しさとでも少しの喜びを感じます。いい歌が昔からありましたね。
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■2010/02/18 (木) 10:38:56
事故ってなんぼ |
軽い事故だったが、今朝、仕事に向かう途中、信号待ちで後方から無闇に発進してきたタクシーが俺の原チャリにぶつかる。ビックリして腰に力が入った。タクシーの運転手は後で判った事だが運転手に成り立ての人で、そのせいか、最初から低姿勢で、自分が乗客の話に気をとられブレーキから足を離してしまったと言っていた。そこは少し下り坂になっているから、オートマチックのタクシーだったら、ブレーキ踏んでいないと進んでしまう。「どんな小さな事故でも警察を介して処理するように」という基本を踏襲するため、事故処理をしてもらう。俺は、外科に行きレントゲンをとってもらい、とりあえず、腰の捻挫、全治7日間という診断書だった。それを持って最寄の警察署に行き、供述調書をとり帰宅。その頃には雪が降り始めていて、嫌な天候になっていた。ちょいと前までなら、交通事故死でもしねぇかなんて思うこともあったが、今はそういうマイナス思考はなくなっているので、てきぱきと事故処理に勤しむのみ。
昨日、ヴァンクーヴァーでの競技を見ようと思ってNHK(エナシカ)を見ていると、国会からの中継があり、党首討論が始まるところだった。どうせくだらない内容だろうと思いながらもついつい見てしまったわけだが、野党の党首は、与党の党首が如何に徴税に対してルーズな人であるかを強調したくて仕方がなさそうだったし、与党の党首はそのことを詫びながらも自分達がやろうとしている「良い国つくり」のためにも税金を納めて欲しい、新政権に期待して欲しい、といった答弁をしていた。でも、朝刊トップになるような内容ではなかった。
「一国の首相が脱税してるんだから、俺もいいべぇ」と言っている人がいると野党党首は言っていた。そんなことを明言する人は少ないだろうけれど、気持ちの中ではそう思う人も多いはず。もう、生まれたときからこんな話ばかりですね。政治とカネ…。
政治家の選び方に問題があるし、政治家自身の人格にも問題がある。奴等は決して立派なひとでも偉い人でもない。にも関わらず「センセイ」といわれたがったり、言って距離をつくる俺たち。政治家に高額なギャラをやっちゃいけない。後援会組織なんて作らせてもいけない。誰だか判らない人が国民の幸せのためにがんばる、そういう政治じゃないとダメだが、無理だね。
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■2010/02/17 (水) 10:55:06
リスクマネジメントは想像力から |
2001年7月。
兵庫県明石市の花火大会事故、という事故を記憶しているだろうか?僕は当時大阪で仕事をしていて、たまにその海岸(大蔵海岸)に遊びに行ったりして事故現場となった陸橋も利用したことがあった。それはどこにでもありそうな陸橋だったが、それを利用しなくても道は渡れた。
13万人が集まった花火大会のメーンの導線がその陸橋ひとつだけだった。当時のニュースでその陸橋内の映像を見たが、もう通勤ラッシュ時の山手線という感じだった。しかし、満員電車に乗る人はそれなりにその状況下での身のこなしなどは心得ている。そして、満員電車の中には階段のような段差はない。
だが、明石の陸橋には階段があって、その人で密集する中、その階段付近で将棋倒しのように人々が逃げ場もなく倒れ始めた。陸橋の換気も悪く、その中は酸欠状態だったので、気持ちが悪くなった人も多かったという。
それは、午後8時30分頃、花火大会から帰ろうとする人々が集中した陸橋で起こった…
お亡くなりになった方は10名。10歳未満8名、70代2名。内、9歳の子供は一人で花火大会に出かけたという。ほかの7名の子供たちは大人と一緒だったようだ。
僕は、自分の息子を映画に連れて行くにしても、なんにしても混雑している時間帯や場所を避けてきた。単に人ごみが面倒くさかったからだ。どう面倒くさいかと言うと、必ず大なり小なりのパニックが起きて、そういうのは嫌だったし、息子ものんびり映画が見たいだろうと思ったからだ。もし、その日、息子と明石の花火大会に行っていたら、その陸橋の状況を見るなり、遠回りしていたに違いない。
でも、そういう状況を見てそのままにしてた警備する側の責任は大きい。今朝の新聞に「取調べ全面可視化へ 元明石副署長強制起訴」(河北新報)とあったのを受けて思い出したことだ。
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■2010/02/16 (火) 11:40:09
決して孤独ではありません |
時間調整のために『ラブリーボーン』を見た。14歳の少女が変質者に惨殺されるが、当の少女が死者として天国に向かう前の、煉獄、でもこの場合はなんつうのかな?三途の川的な世界で、現実の世界に想いを寄せると言う内容。特殊効果を最大限駆使した死後の世界のスペクタクル映像が俺なんぞには食傷気味だった。
死者が現実世界に関与するという映画は大林宣彦監督が多く撮っていて、俺はその中でも『ふたり』(1991)に痛く感動したわけだが、急死した姉(中島朋子)が色んなことで挫けがちな妹を死者として後押しするその姿が凛としていて美しかった。
で、『ラブリーボーンズ』が描く死後の世界、例えば波打ち寄せる海岸線の描写などに俺はジョディ・フォスターの『コンタクト』を思い起した。宇宙からのメッセージを確認するために地球を離れた主人公が辿り着く場所がやけに明るい海岸線で、そこに亡き父親(実はそれに似せた別世界のモノ)が現われるのだった。こちらは、死後の世界ではないにしろ、この世ではないどこかが海岸線であるとゆう共通性には何か訳でもあるのだろうか?
「ラブリー…」にしても、「ふたり」にしても、共通して死者は控えめで時折切ない。そりゃ勿論、現世に物理的な力を及ぼすことが出来ないからだが、ふと、そこに強欲の俺なんぞが生きる上でのヒントがあるように思うわけです。つまり、死者の立ち位置で、その眼差しで、目の前で起こっていることや、人と関係する事も大事なことだと…無私ね。
今日の日記のタイトルは「コンタクト」の中の主人公の台詞。異界のモノと接触した折に、親父の姿をしたそのモノが言う。
「孤独を癒してくれるのは“お互いの存在なのだ」と。
近くに居なくても、この世に居なくても、想いと記憶が続く限り大丈夫。
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■2010/02/15 (月) 09:52:30
ヒロイン |
上村愛子の涙が劇的だった。
もう泣くしかなかった。メダルに手が届かず、やり場のない悔しさやら何やらを体内から一時でも押し出してしまうためには、涙を流すしかなかった。10年以上も、一つのことに拘り続け、集中してきた。多くの人の期待を背に受け、ぐうたらをやってるような一時もなかったに違いない。
最初の五輪から、7位、6位、5位と一段ずつ順位を上げ、今回は飛び越してメダルか!という期待もあった中、結局、また一段上った結果になった。
「どうして、一段一段なんだろうって…」
笑うしかないとう感じで話す上村さんのこの発言の中にある、無念さ、もの悲しさ。
でも、何人かは言っているけれど、一段、一段上り詰めてきたことの意味は大きいと思う。そのことが評価されて、語り継がれるべきだと思うのだ。メダルは獲れるかどうかその場の雰囲気次第だ。上村の後の選手がアクシデントに見舞われたことでもそれが判る。
色んな企業やメディアは経済効果として上村さんの「金メダル」を期待していたに違いないけれど、そしてご本人は一番それに拘っていただろうけれど、今回のような結果が出なければ、長く語り継がれる伝説は生まれなかっただろう。
何か、目標のある人は、成長してなんぼ、だ。今日よりも違うレベルを目指して、だらだらでもきびきびでも、とにかく生きるもの。そのことを公言していようがいまいが、自分が満足できる結果を残せればいい。
翻って夜のサッカー東アジア選手権、日本代表の憐れな結末ぶり。
何年経っても安定感のないチームだな。韓国代表チームの活き活きとした、またえぐい試合振りとは大違い。ゴールを決めてから選手でラインをつくり、サポーターに土下座するなんてゆうふざけたパフォーマンスすらやってしまう、そのまとまりに、悔しい思いをするわけです。
日本代表の選手達の気持ちの中に、上村愛子の「必死さ」がどれだけあったか。この場でゴールを決めなきゃ、という貪欲さがどれほどあったか。
おそらく南アフリカ大会でも予選リーグ敗退。だれもがそう思う、対韓国戦だった。
サッカー日本代表には、ステップアップと言うことがないわけ?
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■2010/02/12 (金) 19:42:34
お前は成り行きで生きている |
そうだ、同じような事件が起きちゃうのだ。宮城県石巻市。17才と18才の男が、これまた10代後半の女を車で連れ去った。その際、女の家にいた女子2名と男子を殺傷。どうやら、18才の男と連れ去られた女はセックスをして子供が生まれたにも関わらず一緒には住んでいなかった。報道番組では、この子供ができたころの男女のブログが公開されていた。
まぁ、その辺の芸能人のノリのアウトプットだった。いったい誰がそんなもん読んでたんだろう?彼、彼女は、誰に向けて発信していたんだろう?石巻の人で今回の事件について「こんな田舎で殺人事件が…」なんて言っている人がいたが、田舎であろうが都会であろうが、人はセックスをする。そして無計画に子供ができる。失敗したな、と思うこともあろうが、どこかに整合性を求めようとするだろ。そこから未来を真摯に考えることもあろうし、成り行きに任せようと思ったりする。何かを具体的にイメージできないとゆう結果、斯様な悲劇が生まれる。警察も同じだ。具体的に様々なパターンをイメージできたのか?「このままだと殺人事件が起きるかもしれない」そう思うことができなかったのか?
18才の少年は、結果から物事を判断しなかった。殺人を犯すということが自分にとってどういう結果をもたらすかを考えていなかった。そして何より生まれてきた子供のことを何一つ考えていなかった。今更何を言っても無駄だ。生んだ子供は人生をかけて守れ。親としてではなく人としてだ。できちゃったから生んで、自分のことしか考えないで、他者を傷つけて、それで破滅していくなんて、マスコミが喜ぶだけだ。
成り行きで生きてもいいが、善く生きなさい。
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