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引越ししました↓
http://sokamondai.jugem.jp/
どなたでもリンクはご自由に。
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■2008/02/14 (木)
サイト運営について(2) |
次に、サイトはあくまでも立ち上げた人間のものだ。
長くやっていると、サイトの管理がだんだん面倒になったりする。
でも、その時には、そのサイトが社会的な役割を持ってしまって、
簡単に閉鎖するわけには行かない。
そこで、サイトを「譲渡する」と言う事を考える。
だが、譲渡した相手と言うのは、サイトを立ち上げた人間ほど、
そのサイトへの想いを持ってはいないものだ。
だから管理も次第に甘くなって、変な方向に行ったりするんだな。
商業サイトならば、「売却譲渡」と言う事が考えられるが、
創価問題サイトの場合は、社会的役割を持っているとしても、
やはり「個人」のものだろう。
さみしいかも知れないが、管理が及ばなくなったら、
サイトを閉鎖してしまうというのが一番、問題が少ない。
今はブログ中心で、
コンテンツと掲示板によるサイトを作成しようと言う人は少ないだろうが、
もし、そういうものを立ち上げようと思うならば、
以上の事に注意したほうがいいと思う。
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■2008/02/14 (木)
サイト運営について(1) |
私はこれまでネットでいくつかサイトを運営して来た。
サイトを潰したり立ち上げたり、
本当に試行錯誤しながらやって来たが、その結果、学んだ事がある。
まず、掲示板の管理というのは大変だから、
掲示板の書き込みが多くなって来ると、
どうしても共同管理人が欲しくなるが、
「共同管理人は置かないほうがいい」と言う事だ。
共同管理人を置くと、常に管理人同士の意志疎通をはからねばならない。
これは結構、大変なのだ。
順調な時は良いが、「考え方」「方針」の違いが出て来ると、本当に面倒くさい。
また、掲示板の利用者としては、誰が管理人だか、わからなくなってしまう。
どんなに忙しくなっても、自分一人で管理業務をこなしたほうがいい。
そのほうが結果的には楽なのだ。
個人サイトの管理者と言うのは、そのサイトにおける絶対主権者なんだな。
だから、問題あるカキコだと判断したら、
管理人の判断でイエローカードでもレッドカードでも自由に出せる。
その審判が嫌な人は、掲示板を出て行けばいいんだ。
「ここは俺のサイトだ。文句あんのか馬鹿やろう!」
くらいの強さで行かないとサイト管理というのはやってられない。
ところが共同管理人を置いて、うかつに「公共性」を主張しちゃうと、
自分勝手にイエローカード出したり、
レッドカード出したりって事が、できなくなってしまう。
管理人のジャッジに対し「公正じゃない」って言われてしまうからな。
だいたい個人レベルのサイトで「公正」を要求されても困るわけだ。
だから自分一人で管理して、
「私が独善的にジャッジしますよ!」とアピールしたほうがやりすい。
もちろん、一往のルールは提示しておいたほうが参加者には安心だが。
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■2008/02/12 (火)
脱会の引き止めについて |
これもしょっちゅう質問されるのですが、うかつに脱会届など出すと、
創価学会員が家庭訪問して来て、引き止め行為をするのではないかと。
例えば、ある会社で営業マンが退職届を提出しました。
この場合、会社が引き止めておきたい営業マンと、そうでない営業マンがいます。
引き止めておきたい営業マンは、成績が優秀な社員です。
そうでない営業マンは、働かないごく潰しです。
働かなくても、美人の営業マンなら、引き止められるかも知れない。
これと同じ原理が、創価学会にも言えます。
創価学会の組織は成果に追われております。
成果を背負うのがいわゆる「活動家」です。
ですから、活動家が脱会しようとすると、引き止められるのです。
活動しない、会合にも行かないような人が脱会届を出しても、
引き止めてくれません。
脱会届を創価学会本部に出しますよね。
この時、すぐに本部で除名処理しないのです。
必ず所属組織に
「当人と思われる人物から脱会届が送られて来たので、確認してください」
と連絡するのです。
これを受けて、所属組織の担当者は、家庭訪問をします。
家庭訪問して来た人は「あなた本部に脱会届を出しましたか」と質問して来ます。
そうしたら、「間違いなく脱会届を出しました」と答えます。
活動実績の無い人は、これだけで担当者は「そうですか」と言って帰ります。
活動家の場合は、
「今ならば、脱会届を無効にできるから考え直して」と引き止められます。
この場合は、脱会の決意の程、話し合いの余地は無い事、
しつこいと警察に訴える等と相手に伝えれば良いのです。
創価学会に入信していた事を家族にバレたくないから脱会届を出したくない、
と言う人が結構おります。
脱会届を出せば、家庭訪問を受ける可能性があります。
この場合、自分が創価学会員である事は当然、家族にバレるわけです。
しかし、人には誰にでも間違いはある。
ですから、堂々と自分は創価学会員であった事を家族に話し、懺悔すれば良いのです。
にも関わらず、もし家族が自分を軽蔑したとするならば、
そんな家族は家族ではありません。
本当の家族であるならば、自分が創価学会員であった事を積極的に話し、
創価学会とはいかなる団体なのかを、語り聞かせてあげるべきでしょう。
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■2008/02/12 (火)
脱会届の住所記載について(2) |
組織に引越し先を告げずに引っ越して来れば、
基本的には統監カードは宙に浮き、行方不明者として除名になりますが、
もし、統監カードが現住所を統括する組織に回ったとしたら、
必ず、数ヶ月で、その組織の担当者が挨拶に家庭訪問して来ます。
引っ越して半年以上、家庭訪問が無ければ、統監カードは回っていないのです。
2世、3世の場合は、行方不明になったら、
組織が実家に問い合わせますので、絶対に現住所はバレます。
地元組織名は、「栄光本部常勝支部池田地区」のように、ワケがわからないし、
活動家でなければ知らないと思います。
ですから、脱会届に記載する必要はありませんが、住所だけは書いてください。
脱会届の書き方がどうしてもワケわからんと言う場合は、
お金はかかりますが、弁護士か司法書士に頼んでください。
その弁護士が運悪く創価学会員であっても、引き受けた以上、動いてくれます。
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■2008/02/12 (火)
脱会届の住所記載について(1) |
よくメールで質問を受けるのですが、脱会届に住所を書く場合、
どの住所を書いたら良いかわからないというのがあります。
つまり、組織と関わっていた頃とは別の場所に、
結婚、その他の理由で引越しをして来ているというのです。
まず、知っておいていただきたいのは、「統監カード」と言うものです。
これは、創価学会における会員の個人情報を記録しているシートです。
このシートは二枚あり、その会員の所属する地元組織と、
創価学会本部の両方で保存されております。
脱会というのは、この統監カードを破棄してもらうと言う作業です。
(実際、破棄されるかどうかはわかりませんが、少なくとも、
現会員のものとして扱われなくなるようにしてもらう)
会員が引越しますと、引越し先の住所を包括する組織に、統監カードが送られます。
送るのは、組織の担当者です。
もちろん、その者が、どこに引っ越したのか知らなければ、
統監カードをどこに送ったら良いのかもわからなくなるので、
この場合は、基本的には本部に統監カードを送り、本部で除名されます。
例えば、自分が独身の頃、勧誘されて入会したが、
結婚をして、組織には何も言わずに引越しをしたとします。
新しい生活を気持ちよくスタートするために脱会したい。
だが、脱会届には、どこの住所を記載すれば良いのか?
この場合は、自分の現在の住所は組織に知られていないのですから、
まだ統監カードは、前住所の時の組織に保存されている可能性があります。
ですから、そこの住所を記載すれば良いのです。
もちろん、すでに行方不明者として本部に統監カードが送られ、
除名されている可能性もありますが、
除名されているかどうかを自分で調べる手段はありません。
創価学会本部に電話をして確認しようとしても、絶対に教えてくれません。
(弁護士や司法書士を通じて調べる事はできます)
ですから、もし除名されていたとしたら、まあ、結果オーライとして、
一往、前住所を記載して、脱会届を書けば良いのです。
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■2008/01/28 (月)
成功哲学と仏教思想 |
勝つ、勝たぬというのは世間一般の成功哲学の話であり、
仏教はそれとは次元を異にする。
企業では営業マンに目標を定めて努力することを求める。
年収いくら稼ぎたいのか?
そのためにはどれだけの成果をあげねばならないのか?
明確にして行動せよと。
このような環境に身を置いていると、疲れ果ててノイローゼになる人も出てくる。
「人はいかに生きるか」「人は何のために生きるか」
という事が明確になっていなければ、いざという時、心が揺らぐ。
「勝て」「戦え」という思想は、うつ病者や、
余命半年と宣告された人間にとっては、何の意味も持たない。
また、いくら成功し、財を築き、名誉を得たとしても、
人格を磨く事を怠って来た人は、その財産や名誉で、人を傷つけるようになる。
結果的に、本当の信頼を得る事ができなくなり、
お金目的の人間ばかりが周囲に寄って来て、
孤独な生涯を終える事になる。
世間では「成功」にばかり関心が向いているが、
成功以前に、人間にとって必要なものがある。
そこを磨くという事を忘れてはならない。
そして仏教は、そのために存在しているのである。
釈迦の説いた仏教は出家仏教であり、
しばしば、社会的成功と矛盾してしまうところもあった。
だが、大乗仏教はその矛盾を超えて出てきたわけである。
(維摩経の主人公は長者であり、法華経信解品では仏を長者に例えている)
むろん、大乗仏教でも、それを学ぶ事で、人を無闇に蹴落とすような
過度な競争に対しては抵抗感を持つようになる。
とにかく、勝てばそれでいい。
成功すればそれで良いという発想に対し、抑止をかけるのが仏教なのだから。
創価学会は「成功哲学」と「仏教」を混同して扱っている。
彼らは組織活動の上でも「ノルマ」(数値目標)を追いかけている。
「成功哲学」と「仏教」は、基本的には異なるものだ。
世間の闘争に疲れた人を癒すのが、本来の仏教のはずである。
疲れた人に、さらにノルマを被せて疲れを倍増させるなど、本末転倒である。
また、創価学会で成功哲学を教えてくれるのは良いが、
社会で成功哲学を実践する時間が無いほど、学会活動に時間が奪われるのである。
学会活動を熱心にやればやるほど、この矛盾にはまる事になる。
中途半端にしかやった事のない者にはわからないので、
一度、徹底的に学会活動してみる事をオススメしたい。
1月24号の週刊新潮において、「顕正会VS創価学会水面下の信者争奪脱会バトル」
という記事があった。
この中に、「創価学会員が素性を隠し、顕正会の被害者を支援するようなサイト」
(全日本青少年育成協会大埜慈誠氏)があると書かれてあった。
いわゆる「偽装サイト」で、具体的に名称があがっていた。
『カルト顕正会撲滅サイト』『顕正会への疑問』『顕正会被害者の会』『SWAT本部』
http://versus9.ld.infoseek.co.jp/
http://www1.odn.ne.jp/~cam07270/
http://www.higaisyanokai.jp/
http://misakicastle.jugem.cc/?month=200406
創価学会員による「偽装サイト」かどうかは、
創価学会についてある程度知る者ならば、何となく見破れるのであるが、
何も知らぬ者は、藁にもすがる思いでこのサイトに踏み込むことになる。
ただ、創価学会による被害者の会は日蓮正宗妙観講であるし、
http://www.toride.org/
「偽装サイト」について指摘している全日本青少年育成協会の大埜慈誠氏は日蓮宗だ。
http://www.seisyo-ikusei.com/
ところで、週刊新潮ならびに大埜慈誠氏が上記のサイトについて「偽装」を指摘しているのは
「創価学会=カルト」という認識があるからなのだ。
創価学会が健全な宗教団体だという認識があれば、「偽装」扱いしないはずだ。
つまり、糾弾する側の主観によって「偽装」扱いされている。
たとえば、私のように日蓮宗もカルトみたいなものだと思っている者にとっては、
全日本青少年育成協会も、日蓮宗による偽装集団のように映るのだ。
私も「ひとり仏教の会」というものを主催しているが、
これも見る人によっては「カルト」であると感じ、
そういう人にとっては「創価学会員駆込寺」も「偽装サイト」という事になる。
「偽装」とは言うものの、それは法的に「偽装」なわけではない。
管理人としては「別に自分が創価学会であると言う必要がないから言わないだけ」という言い訳が常にある。
つまり、読者が賢明になるしかない。
一方、サイトの運営側としても、社会的な信用を得て行くために、相当の努力が必要だ。
個人が暇にまかせて開設したようなサイトが、いつ、マスコミに取り上げられるかわからない。
「界隈」うんぬんとか言って、固定したメンバー同士でこそこそやっていたのが、一気に白日にさらされるという事だ。
その時、恥をかかぬように。
「環境が変えられないのならば、自分の考え方を変えてしまえばいい」
これが「認知的不協和」というものだ。
創価学会員の中には、認知的不協和におちいっている者が多い。
論理的思考とは、まず、創価学会の是非について、客観的に考察する。
その結果、創価学会を「是」と判断すれば創価学会に残り、
「非」と判断すれば、創価学会を脱会する。(あるいは非活動となる)
ところが、家族関係などのしがらみから、
「自分は脱会することはできない」という結論をまず出し、
「脱会できないのであれば、創価学会を肯定的に見よう」と思考する者もいる。
これが認知的不協和だ。
こういう者が創価学会を肯定する意見は、結局、後付けに過ぎない。
後付けであるから、もろい。
人は弱いものだから、脱会などして波風を立てたくないという気持ちは理解できる。
だが、かと言って、自分の信念までゆがめてしまえば、
一体、誰のための人生なのか?
何も今すぐに脱会する必要などない。
親だって、永遠に生き続けるわけではない。
また、今度、創価学会に変動が生まれ、
脱会しやすいタイミングができるかも知れない。
だから、とりあえず非活動になって、いずれ脱会する時を待てばいい。
最も馬鹿げているのは、親と大喧嘩するイメージだけを頭に描いて、
「そんな事できない」と消極的になり、脱会をあきらめ、
ひいては創価学会を肯定しようとつとめることだ。
これは、自分の人生を親に持って行かれているのである。
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■2007/12/27 (木)
創価学会批判を否定する前に日蓮正宗批判をやめろ |
16年前、創価学会が日蓮正宗から離反して以来、
創価学会は執拗に日蓮正宗を攻撃し続けて来た。
創価学会機関紙に載る日蓮正宗攻撃の文面の品のなさ。
会合にあっては法主に対する呪詛唱題会まで行う始末。
正宗攻撃はもういい加減に辞めてはどうかとの声が、内外から出ている。
それでも相変わらず創価学会が正宗攻撃を繰り返すのは、
「悪を野放しにしてはならぬ」「悪は叩かねばならぬ」という理念による。
一方、親によって創価学会の信仰を押し付けられたり、
恋人に創価学会への入会を結婚の条件にされたりという創価学会被害者から見れば、
創価学会こそ悪である。
このまま創価学会を野放しにさせておけば、
自分同様に苦しむ人間が幾多も出てくる。
だから、声をあげて行こう。
テレビや新聞はなかなかこの声を取り上げてくれないから、
せめてインターネットを使って自分の声を伝えて行こう。
こう思っている人達がたくさんいるわけだ。
こういう人達に対し、「いつまでも創価学会に執着しているのは見苦しい」
「もっと自分の人生を向上させるために、時間を費やしたほうがいい。」
などという意見が創価学会員側より発せられる。
創価学会被害者が創価学会を批判するのが見苦しく、時間の無駄であるならば、
創価学会が日蓮正宗を批判するのは見苦しく、時間の無駄ではないのか?
どんな社会問題にせよ、社会全体を動かすには、
問題の深刻さを理解している人達が、声を発し続けなければならない。
創価学会問題もまた同様だ。
ただ、敵があまりにも強大である為に、手ごたえを感じにくい。
だから、この運動が無意味に感じられやすいことは事実だろう。
しかしながら、小石を一つ一つ積み上げて行けば、やがて山となるように、
一人一人の声を積み上げて行けば、やがて社会を動かす力になる。
そう信じ、自分なりのメッセージの発信をして行けば良い。
決して無理をする必要はない。
しごく当然なこの動きに対し、創価学会は自分達の正宗批判は棚にあげて、
無意味だ。時間の無駄だ。ネガティブだと批判する。
これは、創価学会批判を封じるための、為にする批判でしかない。
創価学会批判を否定するのであれば、まず、日蓮正宗批判をやめろ。
さもなくば、なぜ日蓮正宗批判に意味があり、
創価学会批判に意味が無いのかという事を、
世間にわかるように論理的に説明すべし。
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